生きる苦労が真に報われる


大阪府 F
 社会人となって感じたことは、世の中の多くの人がさまざまな責任の重圧の中に生きており、その重さや複雑さは学生時代とは比較にならないということでした。

 仕事上の責任をはじめ、家族の生活に対する責任、親の老後に対する責任、社会や地域に対する責任など、時には相手の人生や生命にかかわることもあり、それ故に自分の都合で投げ出すことや逃げ出すことは許されないものばかりです。
 さまざまな責任の下で押しつぶされそうになりながらも、懸命に生きていかなければならないのが社会人なのだと日々痛感します。

 これまでいろいろな立場の人と人生について語る機会がありましたが、それらの人たちにとっての生きる目的は「家族のため」であったり、「社会のため」であったりと、それぞれの立場で自らの責任をまっとうしようと頑張っていることが伝わってくるものばかりでした。
 しかし、だからこそ定年などで立場が失われた時に、とまどい、虚脱感を感じる人が多いのかも知れません。一切の役割や責任を取り払って自分の人生と向き合った時、そこになお残る真の人生の目的のあることをなんとか分かっていただきたいと奮闘する毎日です。

 また、父がよく口にする「家族のために」という言葉の持つ意味が少しずつ分かりはじめたころから、父と仏教の話題で語り合う機会が増えてきたように思います。
 昨年は、父が初めて実家のある宮崎県から富山の会館に参詣した年でした。
 両親の背負ってきたものを思うにつれ、生きる苦労が真に報われる本当の幸福を伝えたいという気持ちが強くなります。
 少しずつではあっても、たゆまず話を続けていきたいと思います。