氷解                             (大阪府 O)



「何のために生きるのか」。高校時代の最大の問題でした。

 高校は進学校で、体育祭や文化祭などの行事は一切なく、3年間、勉強、勉強の繰り返し。「こんなに苦労してまで勉強するのは何のためか」と悩みました。

「いい大学に入って、いい会社に就職しても、何の意味があるのだろう?どんな職業についても、どうせ苦しみはなくならないのではないか」

 父を見ても、毎日帰りが遅く、日曜日は疲れ果てて家でゴロゴロしています。
 何のために働き、何のために生きているのか・・・・・。思い切って、「お父さんは、何のために生きているのか?」と尋ねました。すると、「家族のため」という答え。親の恩を有り難く感じましたが、それは答えになっていないと思いました。「じゃあ、もし僕とお母さんが死んだら、何のために生きるの」とさらに尋ねると、父は笑っているだけでした。

 友達や学校の先生に尋ねても、「そんなこと考えてどうなる。考えるだけ無駄だ」。しまいには、「そんなこと考えるのは変だ」と言われ、人生の目的について話をしなくなりました。

 一人で悩み、疑問は深まるばかり。「なぜ、みんな、生きる目的も分からないまま平気で生きておれるのか。生きる意味を、どうしてもハッキリさせたい」。
 答えを哲学に求めたのです。受験勉強をしながら、哲学の勉強もしましたが、何を読んでも答えは見つかりません。そして、「どうせ生きる意味がないのなら、まだ幸せなうちに死ぬほうが賢いのではないだろうか」と思うようになりました。

 受験勉強が過熱するにつれ苦しさは増し、「もし人生の目的がないのなら、自殺しよう」と思いました。何度実行しようと思ったか分かりませんが、自殺する勇気もなく、ただ一日一日を消化していく毎日だったのです。親鸞会大阪photo

 煩悶を抱えたまま大学の門をくぐり、「大学で人生の目的を見つけよう」と決意しました。「哲学に生きる意味はなさそうだった。ならば次は宗教を勉強しよう」。当時、アメリカの自己啓発の本をよく読んでいたので、宗教を勉強するならキリスト教、と思いました。

 そんな私に一大転機。「生きる意味を考えたことがありますか」と声をかけられ、「人生には目的がある。それはこれ一つ果たしたら悔いなしと言い切れるもの。とりあえず今はこれがやりたいというものとはまったく違う」と聞いたのです。驚きました。「人生の目的がもしあるなら、それを果たせれば、いつ死んでも後悔しないはずだ」と考えていたからです。

「これはものすごいものに出遇ったかもしれない!」

 話は理論的で分かりやすく、どんな質問にもじっくり答えていただき、バイトや勉強の悩みにも、先輩は親身になって相談に乗ってくれました。

 ある日、「飛ぶために飛ぶ飛行機は、墜落の悲劇あるのみ。同様に、『生きてよかった』と大満足する『人生の目的』がなければ、生きれば生きるほど苦しむだけの一生に終わってしまうのではないでしょうか」と聞き、衝撃を受けました。曽祖父の死がオーバーラップしたからです。曽祖父はとても元気で、1週間後に会う約束もしていたのに、突然墜落した飛行機のように、心臓発作であっという間にこの世を去りました。その時、「死は、すべての前提をくつがえす恐ろしいものだ。そんな死が、今日にでもわが身に襲いかかってくるかもしれない。生きるために生きる人生は、最も恐るべき死を待つだけの人生になってしまう」とおびえたことを思い出したのです。

 さらに、「難度海を度する大船あり」という親鸞聖人の高らかな宣言を聞かせていただきました。「生老病死の苦悩渦巻く難度海の人生、その人生を明るく楽しく渡す弥陀の本願の大きな船がある。その大船に乗るために生まれてきたんだ。苦しむための人生ではなかった!」と知らされ、人生最大の疑問「何のために生きるのか」は、ここに氷解したのです。

 自殺しなくてよかった。生きてきてよかった。哲学でも知りえなかった真実に今、遇えた!
 キリスト教を信じていたかもしれない自分が今、親鸞聖人の教えを聞き求めている幸せは何に比べることもできません。いまだ生きる目的が分からず、苦しみ悩んでいる人たちに、お伝えしたい。人生の目的、ここにあることを!